【デジタル時代のスローフォトグラフィー】Leica M11と私

出典:ライカ公式サイト

Leica M11を使っていると、友人によく「なんで今どきのそんな面倒くさいカメラ使ってるの?」とか「オートの方が絶対楽でしょ」と、そんなことをよく言われます。

正直、購入当初はそれに対してうまく回答ができませんでした。でも、しばらく使ってるとその答えが少し見えた気がします。

スマホで簡単に写真が撮れる時代。私があえてマニュアルフォーカスのカメラを選んだ理由。それは、写真を「撮る」んじゃなくて、「作る」感覚を取り戻したかったからかもしれません。

Leica M11との出会いは、私の写真ライフを思いがけない方向に導いてくれました。高性能なセンサーと、昔ながらの操作感。一見矛盾するその組み合わせが、新しい扉を開いてくれました。

正直、最初は戸惑いの連続でした。ピントを合わせるのに時間がかかるし、露出だって難しい。でも、そんな試行錯誤の中で、写真への愛が深まっていったんです。

今回の記事では、私がLeica M11を通して出会ったスローフォトグラフィーという、そんな贅沢な時間の過ごし方についてお話しできればと思います。

もしかしたら、あなたの中にも眠っている写真への情熱が、目を覚ますかもしれません。

なぜLeica M11を選んだのか

Leica M11を買うと決めたとき、周りの反応は様々でした。「なんでそんな扱いづらいカメラを?」「オートフォーカスのほうが楽じゃない?」なんて言われたこともあります。確かに、最新のミラーレスカメラやスマホのカメラが当たり前の時代に、マニュアルフォーカスのレンジファインダーカメラを選ぶのは、ちょっと変わってるかもしれません。

でも、このカメラを手に取ったとき、なんだか懐かしい気持ちになったんです。祖父が使っていた古いライカを思い出したんでしょうね。ただ、単なる懐古趣味じゃないんです。最近、写真を撮ることが何だか機械的になっていて、そのことにモヤモヤしていたんだと思います。スマホでパシャパシャ撮って、SNSにアップして…。そんな毎日で、写真を撮る喜びみたいなものが薄れていったんですよね。

Leica M11は、そんな自分に「ちょっと待って、写真って本当はこういうものだったんじゃない?」って問いかけてくれたんです。マニュアルフォーカスで被写体とじっくり向き合う。露出を自分で考える。そして、60MPという高解像度で、自分の「撮る」をはっきりとさせてくれるんです。

もちろん、最初は色々と戸惑いました。ピントを合わせるのに時間がかかるし、露出を間違えることもある。でも、そのプロセスがなんか楽しいんですよね。被写体のことをじっくり考えるようになったし、一枚一枚の写真に物語を感じるようにもなりました。

Leica M11は、デジタルカメラなのに、どこか温かみがある。それは、ただ写真を撮るための道具じゃなくて、私と被写体、そして写真という芸術をつなぐ架け橋になってくれたんです。

正直、この選択が正解だったのかは、まだわかりません。でも、このカメラを手にしてから、写真を撮ることが再び楽しくなりました。朝早く起きて光を追いかけたり、街角で人々の表情を観察したり。そんな毎日が、新鮮で豊かに感じられるんです。

Leica M11を選んだのは、最新の技術を追い求めるためじゃなく、写真を撮ることの本質、その喜びを取り戻すためだったんです。そして今、私はその選択を後悔していません。むしろ、新しい写真の世界への扉を開いてくれたことに感謝しているんです。

【マニュアルフォーカスの瞑想】M11で見つけた撮影の新しい喜び

正直に言うと、Leica M11を手に入れた当初は、「自分にはこのカメラはまだ早かったかな」と何度も思いました。ピントを合わせるのに時間がかかりすぎて、決定的瞬間をことごとく逃してたんです。でも、不思議なもので、その「遅さ」がレンジファインダーカメラの醍醐味でもあるんですよね。

マニュアルでフォーカスを合わせるのは、今も変わらず苦手ですが、すこし慣れてくると、これが単なるピント合わせじゃないことに気づいたんです。これって、被写体とおしゃべりしてるみたいな感覚なんですよね。

例えば、にぎやかな街角で人々を撮るとき。以前なら、通り過ぎる人をパシャパシャ撮ってたけど今は違うんです。一人の人に目を向けて、ゆっくりとフォーカスリングを回す。その間、その人の表情や、歩き方、周りの風景との関係を、じっくり観察できるんです。ピントを合わせながら、その人の人生に思いを馳せたりして。なんだか、写真を撮るっていうより、人生の一コマを切り取ってる気分になるんです。

風景写真も、全然違う体験になりました。ファインダーを覗きながらピントを合わせていくと、最初は気づかなかった細かいところが見えてくるんです。木の葉っぱの揺れ方とか、岩のゴツゴツした感じとか。そういう発見が、もっと深い写真を撮りたいって気持ちにさせてくれるんです。

そうは言っても、技術的にはやっぱり大変です。特に、絞りを開けて撮るときなんか、ピントを外すとめちゃくちゃボケちゃうんで冷や汗ものです。でも、そのぶん、ピタッと合ったときの喜びったら、ほんとたまらないんですよ。「よっしゃー!」って、思わず声が出ちゃうくらい(笑)

それに、この「難しさ」が、意外と創造性を刺激してくれるんです。最初の頃は、ピントを外すのが怖くて、つまらない構図ばかり選んでました。でも、だんだん冒険してみたくなって、意図的にボケを使ってみたり、ピントの合う場所で遊んでみたり。そうやって、自分なりの表現を探していくのが楽しくなってきました。

Leica M11でのこの体験で、「見る」ってことの意味が変わった気がします。カメラを通して世界を見ると、日常の何気ない瞬間が特別に感じられるようになったんです。散歩してても、「あ、この光の感じいいな」とか、「この人の表情、面白いな」とか、そんな風に周りを見る目が変わってきました。

確かに、マニュアルフォーカスは手間がかかります。でも、その「手間」が、写真を撮ることをもっと深い、瞑想みたいな体験に変えてくれたんです。テクノロジーがどんどん進化する中で、逆に昔ながらのやり方に戻ることで、写真の本当の楽しさを思い出させてくれた。それが、私にとってのLeica M11なんです。

【街角スナップの変化】M11が教えてくれた「待つ」ということ

街角スナップは、自分の大好きな撮影ジャンルなんですが、Leica M11を手に入れてから、その楽しみ方が180度変わりました。

以前は、街を歩きながら面白そうな瞬間を見つけては、パシャパシャ撮っていました。まあ、オートフォーカスのカメラだとごくごく自然なことなのですが、M11を使い始めてから、意識的に「待つ」ということを覚えました。

最初は正直、イライラしてました。人が通り過ぎるのを見ながら、「あ、いいショットだったのに…」って後悔ばかり。でも、あるとき気づいたんです。「待つ」ことで、もっと良い瞬間が訪れるって。

例えば、こんな経験がありました。都会のビルの狭間で、光と影のコントラストが美しいスポットを見つけたんです。でも、人が通り過ぎるタイミングが合わなくて。昔なら、諦めて次に行ってたと思います。でも、その日は「待ってみよう」って思ったんです。

10分くらい立っていたでしょうか。すると、フードを被った1人の男性が歩いてきました。ゆっくりとファインダーを覗き、フォーカスリングを回す。男性が光の中に入った瞬間、シャッターを切りました。

その1枚を見たとき、「待つ」ことの価値がわかったんです。偶然の出会いと、計算された構図。それが絶妙なバランスで融合した1枚でした。

M11は、そんな「待つ」という贅沢を教えてくれました。忙しない日常の中で、あえて立ち止まり、世界の動きをじっくり観察する。そんな時間の過ごし方を、このカメラが教えてくれたんです。

今まで街角スナップの醍醐味って、予測不可能な瞬間を捉えることだと思ってました。でも今は違います。その場所の空気を感じ、光の変化を楽しみ、そして訪れるかもしれない瞬間を待つ。その過程自体が、写真を撮る喜びになったんです。

時には、何も起こらないこともあります。でも、そんな時間も無駄じゃないんです。街の音、人々の動き、光の変化。そういうものをじっくり観察することで、次はどんな瞬間を捉えたいか、アイデアが湧いてくるんです。

Leica M11は、ただ写真を撮るだけじゃなく、世界をどう見るかを変えてくれました。「待つ」というシンプルでありながら深みのある行為、それをM11は写真を通して教えてくれたんです。

街角スナップは、今や私にとって瞑想のようなものです。カメラを持って街に出ると、日常の喧騒の中に、静かな観察の時間が生まれます。そんな贅沢な体験を、このカメラが与えてくれたんです。

みなさんも、たまには立ち止まって、「待つ」という贅沢を味わってみませんか?きっと、新しい世界が見えてくると思います。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございました。

さて、ここまで私とLeica M11との小さな歩みをお話ししてきました。最初は戸惑いの連続だったこのカメラとの付き合いが、今では私の写真ライフになくてはならないものになっています。

振り返ってみると、Leica M11は単なるカメラ以上のものでした。M11は、写真を撮ることの本質を思い出させてくれる、そんな存在だったんです。

マニュアルフォーカスの難しさに始まり、「待つ」ことの大切さ。そして、一枚一枚の写真に込める思いの深さ。これらの経験を通じて、私の中の「写真を撮る」という行為が、ぐっと豊かになった気がします。

正直、今でも完璧な写真が撮れるわけじゃありません。ピントを外すこともあるし、露出を間違えることだってあります。でも、そんな失敗も含めて、すべてが学びになるんです。

Leica M11は、デジタルカメラでありながら、どこか昔ながらの写真の魂を持っています。M11は、テクノロジーと人間の感性が、絶妙なバランスで融合したカメラなんです。

今回の記事を読んでくださったみなさんに伝えたいのは、カメラはあくまでツールであり、大切なのはそれを使う私たちの心だということです。最新のカメラじゃなくても、スマホのカメラでも、あなたの目と心で世界を見つめれば、素晴らしい写真は撮れるんです。

Leica M11との日々は、私に「ゆっくり」することの大切さを教えてくれました。この忙しない世の中で、あえて立ち止まり、周りをじっくり見つめる。そんな時間の過ごし方が、写真を通じて人生を豊かにしてくれると気づいたんです。

ぜひみなさんも、日々の中で「ゆっくり」する時間を作ってみませんか?カメラを持って街を歩くのもいいし、窓の外の景色をじっくり眺めるだけでもいい。きっと、今まで気づかなかった美しさや面白さが見えてくると思います。

最後に、これは決してLeica M11の宣伝ではありません(笑)。大切なのは、自分に合ったカメラを見つけ、それを通して世界を見つめ直すこと。それが、写真を楽しむ本当の醍醐味だと思うんです。

ぜひみなさんもこれをも新しい写真の旅に出かけてみませんか?きっと、素敵な発見が待っているはずです。

以上、今回は「【デジタル時代のスローフォトグラフィー】Leica M11と私」についてモノがたってみました。

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